宮地鶏



 宮地鶏は昭和16年4月27日より30日まで上野恩賜公園動物園内に於

いて開催された、第2回日本鶏品評会に参考鶏として出品されたことに

よって、全国に知られるようになった短脚種である。

 

 原産地は高知県宿毛市平田町、明治時代に西尾益太郎氏が作出し後に

宮地正利氏がこの原種交雑鶏を飼いはじめ、その名称は宮地氏の姓をと

ったもので、宮地・鶏である。

 読み方は「ミヤジ」であり、「ミヤチ」ではない。

 

 日本鶏研究者の小穴氏の著書、日本鶏の歴史(昭和18年刊)にその

名称と写真が登場し、増補版(昭和26年刊)に明治、大正時代作出の

実用鶏として紹介された。

 

 昭和49年10月28日、宿毛市の市制施行20周年を記念し、市の保護鳥 に選定された。

 

 



日本鶏品評会に出品された参考品に就いて

             鶏の研究 昭和16年6月号(1941)

 

第2回日本鶏品評会

東京市・日本鶏保存会共同主催の下に自4月27日至30日上野恩賜公園動物園に於て開催さる

 

宮地鶏

  保存会研究所の出品であるが、高知県幡多郡の産である。

 全身黒色であるが、普通地鶏より稍々大きく、

 一種の短脚種である。本種は割合大きな卵をよく産む。

 実用鶏として面白いものと思ふ。

 


日本鶏略解 小穴彪

      鶏の研究 4月号 昭和18年4月18日(1943)

 

一八、宮地鶏

   

 高知県幡多郡の産で、これも短脚種の一種である。

体重は雄六百匁、雌五百匁位。単冠を持ち、

耳朶の色は赤色と白色の両様に出る。

全身の羽毛黒色を呈する。

十四、五匁の卵を一年に百五、六十個は産む。

 


日本鶏の歴史 103頁 小穴彪(昭和18年刊)

 

六 短脚鶏四種

 

 鹿児島県及び宮崎両県下に産する地トッコと、熊本地方産の地スリ、それに秋田産の雁鶏は我が国に於いて作られた短脚鶏として一般に知られている。

 

 此の外に最近高知県幡多郡に宮地鶏と呼ばれる短脚鶏の居ることが判った。

 

 宮地鶏は単冠で黒色種のみである。

 



日本鶏の歴史増補版 291頁 小穴彪(昭和26年刊)

 

三 宮地鶏

 

 宮地鶏は昭和一六、七年頃、漸く一般に知られるようになった短脚種で、その親品種は黒の普通地鶏である。

その産地は高知県幡多郡で、平田村外二、三ヶ村に分布している。

 

 本種のもとは、明治時代に、平田村宮地某の家に現われたものだと言われている。

 従ってその名称は宮地氏の姓をとったもので、宮・地鶏ではなく、宮地・鶏である。

 

 本種の冠は、中型の一枚冠。耳朶とあるが、赤がよく、足は黄、又は帯黒黄。全身の羽色は緑黒色である。

 

 本種が一四、五匁の卵をなかなかよく産むことは事実である。

それに短脚であるから農作物を荒す心配はない。

 

 私は昭和一九年九月に現地調査を行ったが、現地では皆放飼いであった。本種は農家が数羽を放飼いするに最も適している。

 



宮地鶏の話 神本治雄氏

       鶏の研究 第26巻 第3号 通巻285号 昭和26年3月  38~40頁

 

 宮地鶏は高知県幡多郡平田村の原産でありまして、明治38年日露戦争当時同村の黒川部落に西尾益太郎という愛鶏家がありました。

 当時他地方に於ては舶来種の流行時代でありましたので、どこからかモルガン系黒色ミノルカ種の逸物を求め、飼養して居りました処、

 

この種の雄が母鶏用としてかって居た加持鶏(矮小型で頬髯のある短脚鶏)の雌に交尾しましたので、これは面白いというので、その卵を化して育てた処、羽色体型共に立派で大きな卵を連産する鶏が出来上がりましたので、忽ちその近所の評判となり、我も我もとその一代雑種の卵

 

を分けて貰って繁殖したのであります。そこから十四、五町離れた同村寺山部落に、尋常小学校の教員をして居た宮地正利(大正11年62歳にて死亡)という鶏の好きな人がありまして、この系統の雑種鶏を飼つて居りました処、丁度その家が四国霊場第39番札所、寺山延光寺の門

 

前にありますので、毎月旧暦21日の弘法大師の命日には各地から多数の参詣人が集り、通り掛りにそこに放ち飼いされている見たこもない立派な鶏に目をみはり、人気を呼んで誰いうともなしに宮地鶏と称するようになったのでありまして、これが宮地鶏の名称の始めであります。

 



 

夢の鶏

 澤田 謙 / 澤田邦子 発行

 平成19年2月(2007年)

 飛鳥出版室

 

表紙の鶏は宮地鶏ではない。これは外国鶏で編集者の間違いであり、誤解を与える写真である。



 

審査標準 高知県日本鶏保存会

 



 

 宮地鶏の高知県内外の飼育羽数は以下のとおり。                    

                                 

高知県畜産試験場  オス 1  メス  7  (白耳朶)

高知市  松岡氏    〃  4    〃   8  (赤耳朶)

土佐市  西村氏    〃  4    〃   4  (白耳朶)

四万十市 西内氏    〃  2    〃   2  (白耳朶)

     計       11羽    21羽   平成25年8月現在

 

 今後、何らかの保護、飼育奨励の策を講じなければ宮地鶏は絶滅するのを待つのみの状態にあるといえよう。

鶏種を維持する為には最低限、50羽を確保する必要があります。

心ある飼育家の参集をもとめるものである。

 

高知県畜産試験場  オス 1  メス  7  (白耳朶)

土佐市  西村氏   〃   2   〃    2  (白耳朶)

四万十市 西内氏   〃   2   〃    2  (白耳朶)

広島県竹原市M氏   〃   3   〃    4     (赤耳朶)

     計      8羽     15羽   平成29年11月現在

 



宮地鶏の名称

 

 宮地鶏(みやじどり)の名称が最近混乱しています。

某保存会の平成9年版日本鶏審査標準で「みやちどり(Miyachidori)」 と表記したため、これを引用したカラー版書籍が平成16年に出版され、

また、これを信じた人が「みやちどり」と誤認識されているようです。

 ブログ、ホームページ上で誤った表記が見受けられます。

 



宮地鶏の耳朶

 

 高知県日本鶏保存会は白耳朶種と赤耳朶種の宮地鶏を認定しています。

 

 宮地鶏は過去、高知県内の某保存会が審査標準書で耳朶の色は鮮赤色と規定し、赤耳朶の宮地鶏のみを優遇したため、赤・白耳朶論争が起こり宮地鶏の飼育者が減少した経緯があります。

 

 宮地鶏の成立に地中海種の黒色ミノルカが関与していることが明らかなことからも白色の耳朶が似合っている。

 

 地鶏は赤耳朶でなければならぬという思いから、赤色に固定改良の努力をしている方もいますが満足のいくものではありません。

 

飼育羽数が少なくなれば、結果、白耳朶の宮地鶏が残ることになるでしょう。