小軍鶏



 軍鶏は体躯の大小により大型、普通型、小型の三種に区別せられる。

小型の軍鶏ということで小軍鶏という。


 本草綱目啓蒙  蘭山小野 口授  文化 2 年[1805] [跋] 

 

 形大にして能く闘うものをシャムと云う 即ち闘鶏なり シャムの小なる者を通事と云う 


   飼籠鳥 (かいこどり) 佐藤成裕  文化5年(1808) 序

 

    馬鶏 和名 シヤム

   元来暹羅国より来る  故に名付てシヤムと云う  暹羅鶏なり 俗に誤ってシャモと云う 


 尾長鶏並に諸鶏の記(五十嵐文書)五十嵐正龍 記  大正12年

                         

 大鶤身体長大にして黒色褐色其他の数色あり性勇猛にてたゝかひを好む

古来流行に消長あり 近年又流行せり

 

  小鶤大小の種類あり 性大志やもと同しく甚だ元気なり

黒褐色混合黒色白色其他の数色あり 足の前面に鱗の四枚並びたるも

のを四枚鱗と称へて之をよしとす 又海老尾と称へて短小なる尾を斜に垂らして海老の尾の形ちに似たるものをよしとす

 

 又大志やも並に小志やも共丸羽と称する一種あり

毛の先き丸みてめん鶏のみの毛の如し 依て丸羽と名づく

づれもよく訓れて■らしきものなり

 

小志やもには近年よきもの減少せり

 

 い志か鶏 志やもの類にして大志やも小志やもとの中間のふとさなり

志やもよりは品位劣れり 今は全く絶へたる様子なり


 

 家禽研究 大正13年6月5日発行

  日本鶏の標準 中央家禽協会協定・三井高遂追補

 

 南京シヤモ(チビ又は小軍鶏

 

 本種は古く、支那より輸入したるものにして、形状は軍鶏、中軍鶏に近似し、之を極めて縮小したるもの、其の猪口才なる容子は亦以て愛玩すべし関東の南京軍鶏は、関西のチビ、又は関西以西の小軍鶏に外ならず。

 

而して近来東京附近に於ける本種の姿勢は、年々優良を欠き、即ち尾長く脚短く、姿勢前のめりのもの多く、全く小軍鶏の特徴を失墜せり。

 

体重小なるを貴ぶと雖も、軍鶏としての姿勢を失へるのは大なる欠点とす。

 

 不合格の条項

雄三百匁以上、雌二百五十匁以上、姿勢前のめりのもの、著しく脚長く尾長きもの

 

   標準体重

 雄・・・・・二百三十匁    雌・・・・・百八十匁

 若雄・・・百七十匁        若雌・・・百五十匁

   濃赤笹南京軍鶏

   赤笹南京軍鶏

   白色南京軍鶏

   黒色南京軍鶏

 形状、色沢共に総て軍鶏の各種に同じ

 


 家禽図鑑 三井高遂・衣川義雄 著 昭和8年発行

 

 小軍鶏(南京軍鶏)
 

 

第二回日本鶏品評会       「鶏の研究」 昭和16年6月号

  昭和16年4月28日~30日

 

 小シャモ

 此の部類へは種々なる型のものが包含されて居る。即ち普通称えられる小シャモの外に、所謂南京シャモ型のもの、関西地方で呼ばれて居るチビ型のもの、土佐の小シャモ型のものなど出品された。

 そこで此の色々の型のものをどう審査するかが、審査委員間で問題となった。結局今回は色々の型のうちから優良なるものをとる事にしたが、将来保存会としては、他の品種と同じように、小シャモも一つの型、即ち今回一位に入賞した鶏のような体型のもののみをとる事に大体意見の一致を見た。

 小シャモは元来シャモの小型なものには相違ないが、ただシャモを其の儘小さくしたようなものではなく、各部分がかなり誇張されて居るものであって欲しい。脛の如きは四枚鱗で頗る太く、それで居て前のめりにならぬものでなければならぬ。

要するに、小シャモにはユーモラスな処が多分になければ其の価値は少ない。今後此の方向に向かって改良して頂きたいと思う。

 


 日本鶏の歴史  (昭和18年刊)

 

 シャモは我が国に渡来してから既に年久しく、その間に多くの改良が加えられ、今日にては其の勇敢さに於て世界無比のものとなつて居る。

 

 加之、其の肉質肉味の勝れてよい処から、肉用種としても珍重されて居る。羽色は紅笹、赤笹、黄笹、白笹、黒色、白色等に分かれて居る。

 

 其の体重は雄鶏に於て大なるものは二貫匁に達するものがあり、小なるものは二百匁に足らぬものもある。大なるものを特に大シャモと称へ、小なるものを小シャモと呼ぶ。

 

 又大シャモと小シャモとの中間の大きさで、雄鶏一貫二百匁、雌鶏一貫匁内外のものを普通シャモといふ。


 日本鶏之歴史 増補版(昭和26年刊)

 

小型シャモ

 

 来歴については何も知られていない。小型シャモは地方的特徴が現れて居り、各種各様の体型を持つに至った。

 しかしそれ等を一つの品種と見、それを改良するためには、その体型を少数のものに限定する必要がある。

 

一. ヤマトシャモ

  もと広島通事と呼ばれるものにつながるものと考えられる。

 各部分の誇張甚だしく頗るゴツイ型である。

  しかしこのゴツイ処に特徴があり、魅力も存するわけで、この類を好

 む者が多い。体重は雄四百匁を限度とする。

 

二. チビシャモ

  大体ヤマトシャモと同型である。ただ雄の体重の限度を二百五十匁

 する処に違いがある。

 

三. 小シャモ

  シャモをその儘小さくしたような格好をしている。幾分の誇張はあつ

 ても、チビシャモ程の誇張ののない処に特徴がある。

 体重はチビシャモに同じ。

 

四. 南京シャモ

  本種は中国よりの渡来種であるかも知れない。前三者に比べると、

 体型に大きな違いがある。即ち、頭部小さく、各部の羽毛は長い。

 その点シャモよりも寧ろ地鶏に近い。その動作も亦頗る敏捷である。

  本種にはもと中型シャモ程度のものもいたが、今では南京シャモと言

 えば小型のものだけを指す。体重は小シャモに同じ。

 



 現在の小軍鶏は上記のチビシャモと小シャモの合成種です。

高知ではヤマトシャモ形の鶏を小軍鶏と称していましたが、品評会が盛んになるにつれ全国との交流が広がり、小軍鶏の体型がイ字よりト字型に変化が生じてきました。

洗礼された小軍鶏を作出しようと改良に日々努力している鶏人は極少数の人達になってしまった。

 子供のころ小軍鶏を飼育していた人が、平成24年に60歳で飼育を再開することになり、種鶏を斡旋しましたが昔の鶏と違うと言いました。

それほど改良されたにも係わらず、納得のいく小軍鶏が未だ現れません。羽色改良の進展が見られず、逆に劣化しているのではないでしょうか。

 

 冠は他会の審査標準では三枚冠を認めていますが、胡桃冠に統一しました。胡桃冠に準ずるものに苺冠があります。



 昭和48年5月15日(1973)付けの資料によると当時は、①小軍鶏、②土佐小軍鶏(仮称)、③チビ軍鶏、④南京軍鶏と四種類に分類しようと考えていたようです。

 現在では南京軍鶏は別に審査標準が定められました。チビ軍鶏は一部の地域に残存するのみでしょう。

 

 小軍鶏審査標準(案)の相違点は以下のとおり。

 

①小軍鶏

  大軍鶏を小さくした形で体格の誇張が見られる。

②土佐小軍鶏(仮称)

  小軍鶏とチビ軍鶏の中間種で頭部は深い皺が多く凄みのある顔をして

 おり体格も小軍鶏より肩幅が広く羽毛短い。

 

冠 ①三枚冠で小さく頭上に堅く着く。

  ②クルミ冠で頭上に堅く着く。

 

頭 ①頭骨が眼上に張り出て、顔は羽毛がまばらである。

  ②大きい頭骨が眼の上に張り出し顔面に深い皺が多く現れる。

 

眼 ①鋭く、赤栗色である。

  ②鋭く、赤栗色又は銀眼

 

頸 ①長く、上部が少し曲がり、殆んど直立し咽元より羽毛がまばらで赤

   い皮膚を現わす頸羽は短く中途より巻き上げるものもある。

  ②長く丈夫で直立し咽元より羽毛まばらで赤い皮膚を現し頸羽は短く

   硬い

 

背 ①長く肩のところが広く腿の上より次第に狭くなり、背線は尾へ向か

   い斜めに下がる、鞍羽は巾狭く短く硬い

  ②肩のところが広く尾へ向かって斜めに下がり腿の上より狭くなり背

   線は真直ぐである。鞍羽は少なく極短く硬い

 

尾 ①長さ中くらいで水平線上に垂れ、よく重なり小謡羽は内側に曲がり

   主尾羽を包む。

  ②短くよく み水平線下に垂れ、主尾羽はよく開きエビ尾状をなす。

 

その他の部位については省略します。

 


 平成26年4月現在においてはコシャモの基本形態は土佐小軍鶏(仮称)にあると結論付けることができる。

 

 体羽のなかで鞍羽について毛長と称して排除される鶏は、小軍鶏と土佐小軍鶏(仮称)の混血の結果と言えるだろう。この毛長と尾の形に筒尾(南京シャモに由来するもの)というのが有りますがこれも欠点です。

コシャモ(小軍鶏)は土佐小軍鶏に収束されていくようです。

 

 今後は羽色の着色をより改良を進めなければなりません。特に褐色種において雄の鶏体への着色不十分、特に翼の三角羽への着色がない鶏を高評価していることは疑問です。

 審査標準に合致した羽色の小軍鶏を作出することは、この鶏種の魅力をさらに増すことになります。

 


 古老の小軍鶏語り

 

 小軍鶏には其の昔から二つの系統があると云われている。通事(大和軍鶏)から出たもので、明治期から昭和にかけて熊沢統と云われる一系統の小軍鶏が土佐には主として飼育されており、体重1キロ200ぐらい。羽色は油赤、笹の濃いもので肩幅広く、まるで碁盤の様に真角で肩差し良く五枚肩、脚は太く人の手の親指ぐらいあり、一寸足、頭は太く、眼光するぞく銀色にさえ、上瞼が突出、此の奥に眼ありで顔中しわだらけ、冠は大きく頭からまけ出る胡桃冠にて、いかにも闘鶏らしく此の頭にて相手を威嚇し、少々食いきられても平気である。

此の風格根性等はまあ良くも土佐人に似た所があり、私は此の小軍鶏が好きで子供のころから飼っており、友達とよく闘鶏さして楽しんだ事もありましたが、戦争という鶏にとっては多難の時代があり、今はこの系統も少なくなってしまいました。

 

 また、もう一つの系統は昭和初期に名護山氏が作り上げたと云われる